どうも、修士課程・博士課程で研究をしてきた31等星です。
今回の記事は、成長マインドセットと才能について思うことを書き連ねただけのエッセイみたいなものです。
それでは早速。
成長マインドセットと固定マインドセットというものがある。
前者は「努力すれば自分の能力は成長する」という考え方、後者は「能力は生まれつき決まっているから努力によって変わることはない」という考え方だ。
もちろん前者の考え方をもっている人間の方が「良い」というのは想像に難くないと思う。
実際にその通りで、固定マインドセットをもつ人より成長マインドセットをもつ人の方が
- 困難にも挑戦する
- 失敗しても挫けずに努力を続ける
という傾向がある。
その結果、成長マインドセットをもつ人は目標を達成して成功しやすい。
だから「成長マインドセットをもつことが大切」という話なんだけど、ここで1つ問題点がある。
それは「成長マインドセットをもって努力すればするほどに、最終的に成果を決めるのは生まれつきの能力だと思ってしまう(固定マインドセットに落ち着いてしまう)可能性があること」だ。
僕はこの問題に遭遇した。
僕自身、大学院(修士課程・博士課程)でそれなりに努力して、できなかったことや苦手だったことをそこそこできるように変えてきた自負がある。
けどそれと同時に、努力による効果の量に限界を感じることが多くあった。
人より多くの努力してようやく人並みの結果を出せたものはまだマシだけど、人より多くの努力した(つもり)なのに成果が人並みにすらならなかったものもある(「つもり」が括弧書きなのは、他の人が陰で僕より大量の努力をしている可能性が捨て切れないからだ)。
特に僕が成果をあまり出せないと思ったことは「難しい概念を理解すること」だ。
大学院生活で教科書や論文を読んだり人の話を聞いたりして新しい概念に触れる時に、イマイチ理解できないことが多いように感じた。
理解するためにいろんな本を読んだりネットで検索したりわからない部分を誰かに聞いたりしても、それでも理解できなかったことがいくつもある。
この経験から、自分の知能で理解できる物事の難易度に限界があるように感じた。
もちろん努力すればある程度のレベルまでは誰でも辿り着けるというのは真実だと思う。
でも「ある程度」のレベルが人によって異なるし、「ある程度」に辿り着くまでに必要な努力量も人によって異なる。
これは100m走に例えればわかりやすい。
努力して100mを9秒台で走れるようになる人もいれば、努力しても9秒台で走れるようにならない人もいる。
3年間努力して100mを10秒台で走れるようになる人もいれば、10年努力して100mを10秒台で走れるようになる人もいる。
つまりまとめると「努力によって到達できる限界値」と「努力によって成長する速度」は才能によって決まるということだ(いわゆる「才能」がセンス・習慣・好みなど様々な要因を含んでいるから単純に議論するのは難しいけど)。
人生の時間は(人間の気力や体力も)有限だから無限の努力をすることはできないことを加味すると、努力した先に行き着くのは「結局最終的に成果を決めるのは努力ではなく才能」という固定マインドセットに近い考えな気がするのだ。
ただしここで注意しておきたいのは「固定マインドセットに近い」だけであって厳密には固定マインドセットではないこと。
僕は成長マインドセット的な考えである「努力すれば昨日の自分より良い自分になれる」ということは真実だと思っている。
だから僕のマインドセットは、半分成長マインドセットで半分固定マインドセットなのかもしれない。
ダラダラといろいろ語ってみた結果「どちらとも言えない」みたいな何も言っていない結論になってしまったけど、気にしないことにしよう。
遺伝に関する本が積読になっているから時間がある時に読んでみようかな。
ちなみに僕が苦手なこと(才能のないこと)を避けるためにアカデミアを離れて、自分の得意なこと(才能のあること)を生かせる民間企業に就職することに決めた話が以下の記事に書いてあるので、興味があればこちらも読んでみてください。
こんな感じで終わり。
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