誕生日を祝われるのが好きじゃなかった

日常

僕は誕生日を祝われるのがあんまり好きじゃなかった。

自己肯定感が低いからというわけではないと思う。

ただただ、自分が生まれてから地球が整数回公転しただけの日をめでたいとはどうしても思えない。

所詮誕生日なんて1年に365回ある日々のたった1日で、他の364日と何ら変わらない日常だ。

1つ歳をとったからと言って特別なことは何もない。

19歳から20歳になる時だけは酒やギャンブルが解禁されるから別だけど、それ以外のタイミングで歳をとっても昨日と今日は何ら変わらない日々だ。

そう、特別なことは何もない。

誕生日を祝われるのが好きじゃない理由は他にもある。

自分の誕生日を周囲の人に知られている場合、誕生日を迎えた日に「周りの人に自分を祝わせている感じ」がしてしまうのが、何となく釈然としないからだ。

少しわかりづらいかもしれないから1つ例をあげてみる。

僕の誕生日が今日(11/16)だとしよう。

今日僕に会う人は、僕の誕生日を覚えている場合「31等星くん誕生日おめでとう!」とか言ってくれたり、気の利く人であればちょっとしたお菓子をくれたりするだろう。

もちろんこういった善意は本当に本当にありがたい。

でも、この善意は「僕が誕生日であることによって相手から無理矢理引き出した善意」である気がしてならない。

この善意は、僕が誕生日でなければ生まれていなかった善意だ。

だから僕は誕生日を祝ってもらうと、自分が「お涙ちょうだい」ならぬ「お善意ちょうだい」をしてしまっている感じがして気恥ずかしくなってしまう。

僕はこの感覚があんまり好きじゃないわけだ。

1つ言い訳というか注意書きをさせてほしいんだけど、誕生日を祝われるのが好きじゃないからと言って僕が他人の誕生日を祝うのが嫌いなわけじゃない。

他人の誕生日を出汁にしてワイワイ騒ぐのはそれなりに楽しいと思っている。

それだけじゃなく、世間的には誕生日を祝ってもらったら素直に嬉しいと思う人が多数派であることもわかっている。

だから僕は他人の誕生日の時には普通にお祝いもするし、遠くに住んでいる旧友にはラインで「誕生日おめでとう」とメッセージも送る。

よくわからないと思われるかもしれないけど、僕はこんな思想をもっている偏屈な人間だ。

こんな人間に共感する人がもしいればぜひ僕と友達になろう。

ちなみにこの記事のタイトルを過去形にしているのは、最近は誕生日を祝ってもらったら素直に喜ぶようになった(している?)からだ。

歳をとって丸くなったからだろうか。

誕生日を迎えて歳をとるのは悪くないってことなのかもしれない。

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