お久しぶりです。31等星です。この間久しぶりに会った知り合いの博士学生に「ブログ、参考にしてます」と言われて、「意外とこのブログに需要ってあったんだ」と思ったため、久々に投稿してみることにしました。今回の話は、僕が大学院時代に「自分の研究をしながら、日々自分の研究分野で重要/必要な知識を勉強するのって難しすぎる」と思っていたことについてです。
この記事では、勉強と研究のバランスを取るためのコツや方法は紹介しません。というかできません。なぜなら、僕自身が勉強と研究のバランスの取り方がわからないまま、大学院生活を終えてしまったからです。解決策を伝えることはできませんが、 僕と似たようなことを感じている人が共感してくれたら良いなぁと思って記事を書いてみます。そのへんのバランスを上手にとって何でもサラッとこなせる優秀な人が多いアカデミアという環境にいると、ついつい劣等感を感じてしまう人もいると思うので、「僕みたいな凡人もいるんだよ」という提示をするだけのお話です。以下、敬体ではありません。それでは。
大学院生がやっていることって何?と問われれば「研究」と答える人が大多数だと思う。それはもちろん正解だけど、強いてもう少し細分化するなら「研究」と「勉強」に分けられると僕は思っている。前者の方は、分野によるけど、実験室で実験をしたり、パソコンを使ってデータを分析したり、フィールドワークで調査をしたり。そして自分の研究をまとめて学会や論文で発表をすること。大学院の経験がない人でもなんとなくは想像できそうな内容だ。
だけどそれだけでは大学院生活は成り立たない。「研究」 をするためには相応の知識を「勉強」する必要がある。自分の分野の最先端の研究を知るためには論文を読まないといけないし、そういった論文や自分の研究の結果を理解するためには学部や修士レベルの教科書に書いてあることを理解していなければならない。つまり大学院生がこなすべきタスクというのは、自分の研究をしながらも日々勉強をして知識を増やすことだ。
そういった勉強を補完するために、多くの研究室では論文紹介のゼミとか教科書の輪読ゼミとかいうものが開かれている。僕が所属していた研究室も例外ではなく、月に数回程度のペースで自分が読んだ論文や教科書の内容を研究室のメンバーに紹介するターンが回ってきていた。
大学院時代の僕は、それらのゼミの準備、つまりは「勉強」、に無限とも思えるほど長い時間をかけていた。これは、学部時代の自分が不勉強だったことに起因している。基礎的な知識が定着していない状態で大学院に進学してしまったため、論文や教科書に書いている内容をほとんど理解することができなかった。だけど、ゼミで人に説明するためには、発表当日までに内容を理解しておかなければならない。理解していないままゴミみたいな発表をすると、ゼミに参加している人たちの貴重な時間を無駄にしてしまうことになる。周りの人に迷惑をかけないためにも、僕はいつも全力でゼミの準備をしていた。
もちろん時間は有限だから、ゼミの準備に時間をかければかけるほど、自分の研究に費やす時間がどんどん削られていく。大学院生にとって研究が進まないことは死活問題。とはいえ、今この瞬間に研究が進んでいないことはそれほど大きな問題にはならない。というのも、最終的に博士論文さえ出せれば良いからだ。要するに、研究というのは大学院生にとって「重要度は高いけど、緊急性は低い」ものなわけだ。たとえ研究が進んでいなかったとしても、せいぜい指導教員から「もう少し研究の進捗を生んだ方が良い」と軽く仄めかされる程度で、今すぐ深刻な状況になるわけではない。
そんなこんなで、「重要度はまぁまぁで、緊急性がめちゃくちゃ高い」ゼミの準備をしているだけでどんどん時間が経ってしまっていた。こんな状況をどうにか改善したいなと日々思っていたけど、冒頭に書いたように、ついぞ僕は5年間の大学院生活でこの状況を打破することができなかった。その結果、大したことのない業績だけ残して、大学院生活を終えてしまった。
そんな僕の業績がどの程度のものだったのかというと、修士課程と博士課程の計5年間で書いた論文の数が3本。これは一般的な基準からすると少なくはない数字に思えるかもしれない。でも僕の業界/分野では標準的なレベルだ。多くの人が学生の間に3-5本の論文を書き、アカデミアで生き残っている優秀な人たちは大学院時代にもっと多くの論文を書いている。それに加えて僕の指導教員が非常に指導力のある人だったことを考えると、3本という結果は少ないとさえ言えるのかもしれない。実際、僕の研究室の1つ下の後輩は、僕が大学院に在籍している間にすでに僕より多くの論文を書いていた。
結果として僕はどうにかこうにか博士号を取ることができたとはいえ、「5年間での3本しか論文を書けなかった」という悔しさみたいな感情が今でも自分の中にほんの少しだけ残っている。時々夜中眠れない時に「大学院時代、どうすればもっと研究が進んだんだろう」とか考えてしまうことがあるけど、その答えはいつまでも経っても見つからない。大学院時代に戻れたとしてもその答えは存在しないからだ。
学部時代までタイムリープすることができるのであれば、「基礎的な勉強に力を入れること」がその答えになるんだとは思う。そうすれば、大学院時代に日夜ゼミの準備に追われることはなく、もっと研究に集中できたはずだ。つまるところ、僕が勉強と研究のバランスを取れないまま大学院生活を終えてしまった原因は、学部時代に不勉強すぎたこと。これに尽きる。
こうした苦労は、しっかり学部時代に勉強していた人には無縁の話だと思う。勉強の基礎ができていれば、大学院に入ってからひたすら研究だけすれば良いだけだ。そして博士課程まで進む人たちの多くは、それなりにしっかり勉強してきた人が多いと思う。僕みたいにあまり勉強してこなかったにもかかわらず博士課程に進んでしまい、その結果、博士課程で苦労してしまう愚かな人間はきっと少数派だ。
でも、少数派だからこそ、僕はこの文章をインターネットの海に残してみることにした。 もしも僕と同じように、不勉強だった昔の自分のせいで今苦しみを感じている人がいるなら、少しでもこの話に共感してもらえたら嬉しい。何がしかの力学で「 もうちょっとだけ研究がんばろう」とか「こんなやつでも博士号を取れたんだから、まぁ自分も何とかなるか」とか思えるきっかけになれば、この文章を書いた意味があると思う。
博士号を取れなくても死ぬわけじゃないしさ。気楽に行こうよ。
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